第6章 過去・現在・未来
― 澤田廣社長インタビュー ―
『ローヤルカラー43年のあゆみ』は、澤田廣社長のインタビューで締めくくる。飾り気のない口調に、誰にでも本音で接するのが誠実の証し、という哲学が聞きとれる。
―― いま社史を発行するのは

平成20年の7月でローヤルカラーは創立44年になります。いわゆる節目に当たらない年に社史を発行する例はあまりないと思いますが、節目である創立50周年までは待てないのです。
日本でカラー写真が急速に普及し始める昭和39年に会社を設立して、写真業界全般の伸張の恩恵を受ける一方で、激しい競争を戦い抜いてきたローヤルカラーの歴史は、日本のカラーラボの歴史でもあると思います。
まったく写真とは無縁だった私の父が一から始めたカラーラボの事業の歴史を振り返りながら、同時に日本のカラーラボの歩みをたどるという意味で、私の意識の底にはいつか社史を出したいという思いがありました。これまでに社史を出したカラーラボの会社はありませんし、今後もおそらくないでしょう。それがデジタルカメラの出現で、カラーラボという業種の存続がにわかに危惧されるようになり、ローヤルカラーもこれまで通りの会社であり続けることは難しくなりました。節目の年を迎えるときまでに、写真にかかわる業界を取り巻く環境がどのように変わってしまうのか、今は予測できません。
そこで会社の歴史の節目を待つよりは、写真の歴史の大きな節目であるこの時期のうちに社史を出すことに決めました。
昔を知っている社内外の先輩方も年々少なくなりますし、社会でもカラーラボの記憶は急速にうすれていくでしょう。今が最後の機会と考えたのです。
―― 社長に就任して実行したこと
大学卒業後しばらく別の建築会社で海外事業のコンサルタントの業務を経験したあと、藤澤グループの建設関係の会社に移りました。のちにローヤルカラーの役員にも就任しましたが、直接実務を見ることはありませんでした。ですから昭和60年夏に父が亡くなり、後を継いだ小俣社長も在任わずか1年4カ月で急逝され、昭和62年の1月1日付でにわかにローヤルカラーの社長に就任したときは、ラボの業務やローヤルカラーの内容はまだ詳しくは知りませんでした。
ところが社長になってその立場で会社を見ると、ローヤルカラーはグループの助けがなければ続けられない会社であることが分かってきました。社内のそれぞれの部門がそれぞれの考えで進めてきた結果、人や設備の規模が膨張して会社としての整合性がとれていないのです。その適正化に手をつけながら、中長期の事業計画、目標と予算による管理などの会社経営の基盤作りを進めましたが、一応の成果を見るまでに2年を要しました。
もう一つはグループ企業に依存する甘えの体質からの脱却です。グループ会社の株をその会社に買い取ってもらってローヤルカラーとの資本関係を切り、寄りかかる相手をなくすという荒療治をやりました。株の売却で得た資金はローヤルカラーの再建に充てる、資金が尽きたら会社の明日はない、だから皆でそうならないようにしよう、と社員全員に呼びかけました。
幸い写真業界全般が好調だった時期でもあり、この改革は成功したと考えています。私自身も否応なしにラボの仕事に打ち込み、短期間で業界や事業への知識や関心を深めて、ラボは思ったより面白いという意識を持つようになりました。またこの経験で会社の透明化の大切さを思うようになりました。
―― カラーラボという業種の印象は
最初はそれまでに経験した建築の事業との違いに戸惑いました。建築業は自分は極力固定資産を持たず、建築を受注すれば材料を購入し工賃を支払いますが、それは建物が完成すれば回収できますし、とにかく金額の桁が違います。
ラボは自分で建物や高額の設備を抱えてお客様を待ちます。一人一人のお客様から頂くのは現像1本いくらプリント1枚いくらの円単位のお金で、それを積み上げなければ資産の償却も新しい設備の購入もできないのです。
またラボの仕事は時間の勝負で、お客様に渡す時間は絶対守らなければならないので、現場は機械の故障を心配して予備の設備を入れたがります。1台でも採算がとれるかどうか分からないのに2台も買うのではたまらないと思ったものです。
それとカメラやフィルムの新しい考案や企画に合わせてそのための設備を入れても、採算がとれる前にその仕事がなくなることもよくありました。8ミリフィルムの設備は家庭用のビデオカメラの出現で御用済みになりました。ハーフサイズ、110フィルム、ディスクカメラ、APSフィルムなども短命でした。結局ラボは昔からの35ミリフィルムで持っていたようなものですが、今はデジタルカメラの出現でラボ自身がどうなるかというところに来ています。
一言で言えばラボは受身の事業、というのが第一印象でした。
―― 未経験でこの業界に入って
会社設立から20年もたってから、まったくの素人が社長に就任したわけですが、先入観がなかったからできたこともあります。
新しい現像所を作るのに、ラボの技術屋さんは今入れる機械だけを考えて、その機械に合わせて建物や部屋を設計し、排気装置であればその機械の排気口に合わせた位置に作りつけにしてしまいます。そのときは良くても、その後に機械を入れ換えようとすると部屋は使いにくいし、排気口の位置も合いません。私は写真は素人でも建築はいくらか経験があるので、どのようにでも使える建物と部屋を作り、排気も配管で融通性を持たせるように主張しましたが、機械の進歩が激しい時代になってそれが活かされています。またコダックのコダクロームを扱い始めたころは、コダクロームはプロの写真家が展覧会に出品する写真のためのフィルム、というのがラボの常識でした。しかしそういう仕事は手間がかかる割に収益が上がりません。
素人目で見ると、アマチュアにもコダクロームのファンはたくさんいます。その人たちにローヤルカラーのお客になって頂くために写真教室を開いたりしながら、プロラボはより効率のいい広告写真に力を入れたのが、今のコマーシャル事業部につながり、会社の体質に貢献しています。
―― 「何でも一番」という社風について
ある時期までローヤルカラーは最新の設備を他社より先に導入することが多かったのは事実で、創業社長の父の性格と機械が好きな技術者の気質が合致して社風のようになり、ラボの仕事ではやむをえないところはありますが、結果的に設備過剰になっていました。
私にもその性質は伝わっている所がありますが、 「何でも一番」という気持ちは抑えてきました。その機械をなぜ使いたいのか、使いこなせるのか、他社より先に入れる利点は何かなど、皆で議論して先行投資なのか無駄づかいなのかを厳しく判断するようにしました。
ただ時代を先取りする技術を取り入れた機械は思いきって導入してきました。若い技術者の意欲を刺激して勉強してもらうためです。最初のデジタルプリンターなどは今思っても高価な機械でしたが、これを使いこなした経験が現在のデジタルカメラの対応に活かされています。
―― あまり増資をしないのは

ローヤルカラーは昭和52年に1億円に増資して以来、約30年増資していませんが、資金に支障を来たしたことがないのは私の自慢の一つです。父の澤田五郎が一代でグループを築き上げたのには、業界や金融機関での父の信用が大きく物を言っています。個人経営ですから個人保証は当然ありますが、それも含めて信用は父の貴重な遺産で、私もその遺産をもっと大きくして次代に遺せるようにしたいと心がけています。
信用を得るにはいっさい包み隠しをしないことが大切で、現在言われている情報公開とか説明責任という言葉がまだなかった時代でも、すべてを透明にしてきました。銀行にも、業績が悪ければ悪いと報告し、言い訳はしません。どう悪かったか、なぜ悪かったか、今後いかに改善するか、すべて数字で説明し、実践します。その信念が信用に結びついて取引銀行の数は増えています。
個人経営の会社の信用は社長個人の信用ですから、私が信頼されなければなりません。私はゴルフはやりません。建設会社の頃はあたかも仕事のようにゴルフをやっていましたが、ローヤルカラーに来てからはいっさい止めました。1日会社を留守にして誰かとゴルフで付き合うより、あの社長はいつでも会社にいるという評判のほうが信頼につながると思うからです。
信用は人脈を作ります。ローヤルカラーには他の会社から移って来た人が多いのですが、その大部分は業界や金融機関の人脈をたどって頼んで来てもらった人です。長野の冬季オリンピックの仕事に加われたのにも、海外の研修ができるのにも、フィルムメーカーの人脈が活きています。
人脈を作るのには、これから伸びる人を見きわめて、早いうちから人間関係を持つのが大事です。
―― 社内の信頼感の育成は

社員の間に信頼関係がなければ会社は信用されません。開かれた会社でなければ信頼は生まれません。社長に就任したときから会社の情報は社員にもオープンにしようと思っていました。
パソコンの導入は業界では早いほうで、今では1人が1台持っています。パソコンはもちろん業務を処理する道具ですが、ローヤルカラーでは社内の情報をオープンにする道具として活用しています。
私の年頭の挨拶や所感も、全員のパソコンにいっせいに送って見てもらいます。営業マンが上司に出す日報やレポートは他の誰でもパソコンで見ることができますが、それは自分の情報は他の誰もが見られるということでもあります。そうなると書く人も読む人も勉強しなければなりませんし、そこに自分の仕事のヒントを見いだすことがあるかもしれません。報告を受ける上司も真剣に対応せざるを得ません。
役職での制約はいくらかありますが、誰でもいつでも会社の状態が数字で分かるようにしています。自分の部署だけでなく全体の数字が分かると、私や上司の言うことが理解できるようになります。数字が社外に洩れることがあるかも知れませんが、それで駄目になる会社なら洩れなくても駄目になると思っています。
年度の始めには本社でも営業所でも全員が集まって前期の実績と新しい期の計画の発表会をします。利益のうちで事業の継続のために積み立てる額、皆で分配する額を数字で示すので、その利益が達成できなければ賞与に影響することは皆理解しています。中間決算では上期の実績に下期の計画を加えた数字を発表します。年度の予算に到達しなければやはり賞与に影響しますから、それなら下期はこうしようと皆で考えるのが会社の活力になっています。
それでも賞与に影響するときは、まず社長の私が賞与を返上しますが、皆も数字で分かっているので納得してくれています。
―― 会社は誰のためのもの
最近「会社は誰のためにあるのか」ということがよく言われますが、私は社員の幸福を最優先に考えています。
ローヤルカラーが週休2日や一斉休日の制度を取り入れ、永年勤続者に旅行券を贈ってリフレッシュ休暇を取れるようにしたのは業界では早いほうでした。
私が就任した当時、ラボ業界の勤務条件や給与水準は他の業種に比べて遅れていました。社員旅行やレクリエーションには力を入れていましたが、価値観が多様化するとあまり喜ばれなくなり、自分の生活の余裕の欲求が高まってきました。といって給与の水準を上げるのは簡単なことではありませんし、業界の状況も配慮しなければなりません。
しかし皆で働き方を工夫すれば休日を何日か増やしたり、永く勤めた人には奥さんと何日かゆっくりしてもらうということはできるのではないかと考えたのです。
最近、会社は株主のためにあるというアメリカ式の考えが、日本でも多くなってきたようです。しかしローヤルカラーでは社員の80%が会社の株を持っているので、会社は株主のためというのと、会社は社員のためというのは、ローヤルカラーでは同じことなのです。上場会社ではなく株券の非発行会社なのでできることなのですが、社員には毎月少額でも積み立てて株を買って欲しい、会社や仕事や私を株主の目で見て欲しいと言っています。
株主総会後の集まりでは総会には出なかった話題も出しますし、社員株主にはさまざま優待があります。会社の先行きが心配になったら、 株はいつでも私が買いとる、 と言っていますが、 その例はまだありません。
―― ローヤルカラーの未来は
強調したいのは、ローヤルカラーは不滅、ということです。写真の変化は激しくても、会社を投げだすことはありません。
しかしそれには全員が一緒になって歩んでくれなければ進めません。今日までどんなに経験を積んでいても、変化に対応できない人は困ります。そういう人が1人いなくなれば、若い優秀な人が2人使えるのです。
皆もっと勉強して欲しいと思います。難しいことではなくて、文章の書き方一つでも勉強して欲しいのです。これからの難しい時代、苦労して勉強する人と、勉強しないで楽をする人とを同じに扱うことはできません。
ローヤルカラーは良くも悪しくも今まで個人経営でやってきましたし、これからも個人経営でなければやれないと考えています。そのためには私の後継者は私の家族から出さなければならないと考えて、私の長男を去年会社に入れました。大学卒業後あるシステムの会社にいて、こちらに移って収入は大分減ったようですが、私がローヤルカラーに来たとき感じたのと同じように、思ったより面白い、と言っているのが私の何よりの喜びです。
―― ありがとうございました。
(平成19年9月21日 )